今回,7月8日(日)の大江戸探索会は第80回の節目を迎え参加者は21名でした。
場所は千葉県流鉄流山線の流山駅を中心に散在する歴史的文化財を探訪,日中34.8度の猛暑にもめげず,案内人小原 寛氏の詳しい説明を聞きながら名所・旧跡・史跡等の24箇所を順に巡り,個人では中々出来ない歴史を振り返る良い機会が得られました。
一風変わった地名そんな感じがする流山の由来は,なんと上州・赤城山の一角が崩壊してこの地に流れ込み小山の赤城山を形成したという,その山頂には“大しめ縄”で有名な赤城神社が鎮座している,それ故この地が流山となったとする伝説も面白い(他説有り)。
流山市は江戸川沿いに位置し江戸時代から大正にかけて商業の中心的役割を担い,百数十年の歴史ある老舗も点在し往時の面影を垣間見ることが出来ました。
順路の中程にあった文化財一茶双樹記念館で一休み,双樹亭の縁側に座り石庭・枯山水を眺め乍ら館員の関口亘彦氏から詳しい説明を受けました。
心癒される双樹亭とその奥に繋がる一茶庵に来ると名句でも詠いたくなるんでしょうか・・
石庭の脇に一茶の句碑がありました。 “夕月や流残りのきりぎりす ”
小林一茶と双樹の関係は俳人でかつ旅人でもある一茶が,流山を訪れて“みりん”開発者の一人,秋元三左衛門(俳号双樹)に会い,彼も俳句を嗜んでいたことから親交を深めたというこの地が“寄寓の地”となっている様ですね。 (ここで全員集合写真パチリ)
順路の後半に新撰組・近藤勇陣屋跡がありました。 あの鳥羽伏見の戦いに敗れ江戸に戻りその後甲州の戦いにも敗れて同士の土方歳三らと再起を図って辿り着いたのが流山,しかしその三日後には新政府軍に出頭し捕えられるという歴史的な場所になっています。
“菊の香りに葵が枯れる”は当時を象徴する文言だが彼らは何を思っていただろうか・・・ そんな思いを抱き,更に常与寺―浅間神社-呉服屋新川屋-流山博物館へと足を運び,最後は関東の駅100選の流鉄流山線の流山駅から電車に乗り幸谷で下車し新松戸駅周辺で17:30頃解散しました。 解散後有志14名は近くの居酒屋で恒例の大反省会?を行い,大いに盛り上がりながら楽しかった探索会を締めくくりました。
( 熊谷 忍 : 記 )