第69回大江戸探索会(上野公園界隈)報告2016年10月2日

この秋の天気は、秋雨前線の停滞やら台風来襲で雨勝ちでしたが、当日は、幸いなことに久方ぶりの好天に恵まれました。参加者も30名余とにぎやかな探索会となりましたこと、案内人として心から感謝申し上げます。

案内人として、今探索会のねらいは、次のようなことでした。
1. 我が国20番目の世界遺産登録「国立西洋博物館」を契機として「上野公園」をまわろうということでしたが、ついでに「谷中霊園」も併せて回ろう!というという次第でした。
2. 今回の見所は、国立西洋博物館をはじめ、公園内に所材します科学博物館・国立博物館等の文化施設を見てまわろうというものでした。
3. 上野公園は、「寛永寺」を抜きに語れません。寛永寺建立に関わりのあった天海大僧正をはじめとして、二代将軍徳川秀忠以降の歴代将軍についてでした。
4. 谷中霊園では、第1 5代将軍徳川慶喜が、なにゆえ増上寺・寛永寺ではなく谷中霊園なのか?との解明でして、結果は信仰上でした。 即ち、「仏教徒ではなく神道」になったから、ということ。
5. 霊園内の、かの幸田露伴の小説「五重塔」(放火で焼け落ちた天王寺の五重塔)の舞台のご案内 等々ということでしたが、ほほ達成できたのではないか、と想っております。

次に、北上市出身の私たちにとりまして上野といいますと、やはり上野駅です。現在の上野駅の場所は、寛永寺の11子院跡です。はたまた、私たちにとりましての上野駅は、昭和30年代、「金の卵」ともてはやされ“集団就職”でぞくぞく上京した仲間の降り立った駅なのでした。かように、上野駅は、終着駅にして始発駅なのでした、との感慨深い駅なのです。

結びとして、上野のお山といいますと“やはり西郷さんの像”です。が、西郷さんの像建立計画が持ち上がった当初、その場所は皇居前広場でした。
しかしなから、西南の役で一度は朝敵となった西郷さんの像を皇居(宮城)前に建てるのは如何なものか?とする人々の意見に配慮することで、当時、たまたま空き地であった現在地となった、ということなのですが、案内人としては“結果として良かった”と想うのですが、仲間の皆さんのお考えは?
                               案内人 菊池 威