「風薫る五月」がやってきた。初夏の涼しい風がゆるやかに吹き始める季節である。しかし今年は・・・寒い寒い春が続いている。ふるさとの展勝地の桜の開花も例年より遅いようである。その分長い春を楽しむことが出来ると解釈すれば、それもまた佳き哉佳き哉ではあるけれど。
先月は春の民話「鶯の谷渡り」を紹介した。五月の民話は「食わず女房」である。五月節句に何故菖蒲湯で沐浴するようになったのか、蓬などを軒に挿して男子が邪気を祓うようになったのは何故かという話であるが、語ると10分以上の長い話なので、今回は紙面の関係上割愛することとする。
その代わりと云う訳ではないが、季節の漢詩を一篇紹介しよう。「国破れて山河在り」(杜甫)・「春眠暁を覚えず」(孟浩然)など、誰もが親しみをもっている漢詩は多い。今回は欧陽脩の、のどかな春の自然を美しく描写した七言絶句。
豊楽亭遊春 豊楽亭遊春(ホウラクテイユウシュン)
欧陽脩 欧陽脩(オウヨウシュウ)
綠樹交加山鳥啼 緑樹 交ごも加う 山鳥啼き
晴風蕩漾落花飛 清風 蕩漾として落花飛ぶ
鳥歌花舞太守酔 鳥は歌い花は舞い 太守酔う
明日酒醒春巳歸 明日 酒醒むれば 春巳に帰らん
* 豊楽亭にて春を遊ぶ
新緑の木々は枝を交わらせて茂り、山の鳥は鳴き
うららかな春の風は漂い、花は飛び散る
小鳥はさえずり、花びらは風に舞い、太守である私は酒に酔う
明日、酔いから醒めれば 春はきっとどこかえ帰ってしまっているだろう
結句が少し寂しいが、酒を飲み、酔った翌朝の寂寞間は、いとあわれなるものがある。若者にはわからぬ、歳を経た者のみが味わうる感慨である。
四月の報告
定例会の欠席者が多かった。皆それぞれに事情のあることであり、致し方なし。それでも三月に引き続き見学者来訪。二月の銀河プラザでの民話を聞き、興味を抱いて下さったとのこと。
我々の活動が少しずつでも聞いてくれる方々への耳に届きはじめたことを喜びたい。民話・朗読、好きで楽しんでやっていることとは言え、マイナーな世界での活動である。例に出すのはおこがましいことであるが、例えば歌舞伎・落語には形がある・きまりがある。誰もが納得する「芸」である。我々がやっていることも「話芸」であると思う。だが残念なことに世間での認識はまだまだである。そこで思う。我々はいま産みのくるしみを味わっている最中の先駆者なのだと。
「民話研究会設立十周年記念・里帰り口演」のスケジュール案が定例会で発表した。ふるさと北上「みちのく民俗村まつり」での口演である。一年も前からゆりいかさん・及川さんが北上市の担当者と連絡をとり、館長・村長との交渉など様々な仲介の労を執ってきた。東京~北上間、事を起こそうとした場合近い距離ではない。手紙やメールでのやりとり・北上へ行っての折衝など、ほんに、ゆるぐねェがったどおもう。ここまで漕ぎ着けた二人の労を犒い、メンバー一同心より謝辞を述べたい。
あとは二人の労に報いるべく本番当日に向けて進むだけだ。ここでシッカリと○○を引き締めてかかりたい。めったにない遠征であるから皆さんのいろいろな意見・要望もあろうが、浮かれ気分で取り組まないようにしたい。北上で民話を語って活動しているグループもあり、すぐ近くは遠野市だ。我々はそこへ「聞いてもらいに」行くのだ。我々の語りがどこまで通ずるのか、不安はてんこ盛りである。9月11日の本番を終えるまで緊張感を持続させて臨みたいと思う。
がんばるべ!オラだの十年、無駄にしねぇようにヨ!
もぢろん皆わがってるど思うどもな。
どんどはれ